双胎間輸血症候群の手術体験。診断時の心境から術後のことまで

こんにちは、ぶるすです。
初めての妊娠でしかもそれが双子妊娠だったら、それだけでも驚きや喜び・不安や心配が次から次へとやって来るんですよね。
そんな、心も体も不安定な中で「双胎間輸血症候群(TTTS)」と診断され、手術を受けることとなった私。
今回は、双胎間輸血症候群と診断された時の心境から手術、そして術後の様子などについて、私の体験談をお話しします。
双胎間輸血症候群は自覚症状があるの?
双子妊娠にはいくつかの種類がありますが、その中でMD双胎(一絨毛膜二羊膜)の場合、「双胎間輸血症候群(TTTS)」になってしまうことがありますね。
私もその一人だったわけですが、そう診断されるまでに自覚症状や心の準備があったかというとなかったんです。
いや、正しくは、「症状はあった」んだけど診断されるまで疾患のことを全然知らなかったため「自覚出来なかった」んです。よって事前に心の準備もなにもなかった、と言うことになります。
後から考えてみれば「短い日数で急激にお腹が大きくなった」のは、自分でも「なんか変」と考えられる症状だったのだと思います。
でも、当時の私は
「双子妊娠だし、これくらい大きくなるのも普通かな」
位に感じてましたね。
幸い、重いつわりで入院していたので、私が何も知らなくても先生がちゃんと異変に気付いてくださったのです。
私は妊娠12週でつわり入院しました。
普通ならつわりがそろそろ落ち着いてきてもいい頃だと思いますが、落ち着くどころか益々弱っていた私は入院することとなったのです。
そのまま1ヶ月半ほど入院したのですが、妊娠16週辺りから急激にお腹が大きくなるのを感じるようになりました。
同時に、腰痛もひどく普通に寝ころぶのが痛くて辛かった記憶があります。
腰にバスタオルをたたんで挟んだりしてどうにかやり過ごしていましたが、これは要するに羊水が急に増えていたためのことだったんだと後から知りました。
双胎間輸血症候群と診断された時の私の心境
私がふたごくんを妊娠していた2010年当時はまだ「双胎間輸血症候群」なる病気があるなんてことを事前に知る機会が今ほどありませんでした。
つわりで入院していたので母が買ってきてくれた双子妊娠・出産の本を読んでいましたが、そこには一応「双胎間輸血症候群」について書いてあったもののほんのわずかな情報のみでした。
その為、MD双胎であっても別段こんな大変な病気になるなんてことは全くもって想像もしていなかったのです。
初め異変に気付いたのはつわりで入院していた先の担当の先生で、
ちょっといつもと違うエコーで診てみましょうか
と、入院中いつも診察を受けていた部屋とは別の部屋に連れて行かれ、エコー診察をしていただきました。
そして、
ちょっと羊水の量が増えてるようだし、ここだとこれ以上詳しく診られないから、私が以前勤めていた専門の病院を紹介しますからそちらで詳しく診てもらいましょう。もしかしたらなんともなかった、ってことかもしれないし、そうじゃなくても、タイミングが良ければ手術も受けられるから。
とおっしゃったのです。
きっと、この時先生は双胎間輸血症候群についてのお話をしてくれていたのかもしれません。
でも、はっきりと聞いた記憶がないのです。
つわりで具合が悪かったからか、私がちゃんと聞いてなかったからか。
ただ、お腹の双子ちゃんたちに何かしらの異変が見られているのだ、ということは感じていました。
紹介状を書いてもらったのが週末だったので、一旦退院し自宅へ戻り、週末だけ自宅で過ごしましたが、この2~3日が結構辛かったのを覚えています。
家に帰った途端、家の匂いにつわりがぶり返したからです。
週明け早速紹介していただいた病院へ夫と行きました。
もしそのまま入院することになったとしたら荷物とかを取りに帰るには距離があったので、事前に入院準備もして行きました。
紹介していただいた病院は国立成育医療研究センター。
到着後、それほど待たずに診察になりました。
暗ーい部屋に先生が数人で診察。
そして、エコーを見ながら先生が、
双胎間輸血症候群ですね
と言ったと思ったら、周りのスタッフに手術の予定やらなんやら駆け足で確認し私に一言、
明日、手術をしましょう。今から入院の手続きをしてください。
ここから一気に状況が動き、心がついて行かなくなりました。
なんだかよく訳も分からず、夫と入院手続きをし個室へ。パジャマに着替えると、看護師さんに
「この後、手術についての説明があります」
と言われ、待っていました。
暫くして看護師さんに案内され、夫と共に別室へ。
プロジェクターが準備されていて、先生数名がいらっしゃいました。
そして、そこで双胎間輸血症候群についての説明を受けました。
▶日本胎児診療グループ
プロジェクターを用いて詳しく説明をしていただき、病気について初めてちゃんと認識した私。
その時のことは今思い出しても当時の相当なショックがよみがえります。
その説明を聞いて、私の頭に残った先生の言葉はコレでした。
このまま放っておいたら二人とも亡くなってしまう可能性が高いということ。
手術をすれば60%の確率で二人とも助かる、そして、90%の確率で一人は助かる。
二人助かる確率が60%だと言われた時、手足が冷たくなって震えが止まらなかったのを覚えています。
双子はハイリスク妊娠だとは言うけれど。
なんだかんだ言って、普通に元気な双子が生まれて来るもんだと、楽観的に考えていたところがありました。
そんな楽観的な気持ちが一気に打ち崩された瞬間でした。
双胎間輸血症候群はステージⅠからⅤまでの5段階に分けられ、私の診断されたステージⅠというのは、最も重症度は低いものでした。
それでも。
それでも、40%もの確率で一人ないし二人ともが生まれてくることすら出来ないかもしれない。
だんだんと頭がぼーっとしてきて、具合が悪くなりました。
明らかに具合が悪い私の様子を受け、説明は一旦中断となり病室に戻ることに。
そして、ベッドに横たわった状態で残りの説明を受けました。
想像もしていなかった大変な事態に心はまだついていけてませんでしたが、二人とも助けるためには手術を受けるしかないのだと、短い時間で決意をしました。
そして、手術は翌日、行うことが決まったのです。
双胎間輸血症候群(TTTS)の手術を受けました
翌日、朝から絶食し(いずれにせよ具合悪くて殆ど口にしてませんでしたが)、手術です。
不安はありました。
でも。
私に出来ることは、「先生を信じて、お腹のふたごちゃんの生命力を信じて、手術を受ける。」
これだけです。
ベッドに横たわったまま、手術室へと運ばれて行きました。
いよいよ手術開始です。
背中に麻酔を打たれます。
麻酔による痛みや気持ち悪さは感じませんでした。
ただ、よだれつわりは相変わらず。
手術中は唾が吐きだせないので、口元にタオルを当ててもらいそこにダラダラと出していました。
麻酔は、全身麻酔ではなく局部麻酔。
なので、先生たちが話すことも全部聞こえてきます。
手術では胎児間で問題となっている一方通行の血管を焼いていきます。
問題となっている血管の焼灼が終わったら、多くなりすぎていた羊水を抜きます。
私は、双胎間輸血症候群の手術と併せ羊水検査も申し込んでいました。
なので、この時抜いた羊水で検査を受けました。
手術は多分、1時間位だったと思います。
無事手術は終わり、回復室で2~3時間様子を見たでしょうか。
その後、病室へと運ばれました。
体は起こせるような状態ではありませんが、気持ちはすごく元気だったことを覚えています。
が、夫は病室で私を迎える時、ものすごく心配そうな顔をしていました。
というのも、自分では分からないことでしたが、とにかく私の顔が真っ白で血の気がなかったらしく、その姿をみて心配したんだそうです。
手術はこのようにスムーズに終わりましたが、その夜は一晩中頭痛にうなされました。
この時は、手術による頭痛と思っていましたが、実は「マグセント」という点滴の影響だったと後にわかりました。
とにかく頭が割れるように痛かったです。
双胎間輸血症候群(TTTS)術後の様子は
術後の経過は順調で、一ヵ月様子を見て大丈夫なら退院できると先生に言われました。
新たに異常も見受けられず、一安心です。
ところで。
「ウテメリン」というお腹の張り止めの点滴があるんですね。
切迫早産とかで入院経験のあるママなら皆お馴染みの点滴かと思います。
私もこのウテメリンを入院したその時から24時間営業でしていました。
この点滴を受けると、動悸・頭痛・吐気・手足の震えなどの副作用が見られたりします。
私の場合は、動悸は初日だけで、この点滴による吐気や頭痛はなかった(つわりによる吐気はあったけど)ですが、手足の震えだけはずーっと止まりませんでした。
ずっと、プルプル震えるんです。
でも、他の妊婦さんたちも殆どみんなこの点滴で繋がれているので、みんな仲良くプルプル状態です。
初めはちょっと気持ち悪いですが、慣れて来るもんですね。
プルプルしながらも食事等みんな上手にしていました。
話がそれちゃいましたが、退院するためにはこのウテメリンの量を減らしていき、外しても大丈夫にならなければいけません。
そこで、早速点滴の量を減らすことに。
結果は・・・
点滴を外すとお腹が張ってしまったんです。
結局、手術は成功しましたが、私はこのまま出産まで入院を続けることになったのでした。
まとめ
双胎間輸血症候群の疑いから、診断、そして手術と術後の様子までをお話しました。
次回は、入院生活や出産についてご紹介したいと思います。
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