双胎間輸血症候群の手術後の入院生活と出産まで
こんにちは、ぶるすです。
前回、双胎間輸血症候群(TTTS)と診断され手術を受けた体験談をご紹介させていただきましたが、今回はその続き。
術後のお腹のふたごくんの体重差はどうなっていったのか、数ヶ月に渡る入院生活の様子はどうだったのか、そして、出産はどのタイミングになったのか、などなどお話したいと思います。
双胎間輸血症候群の手術後の経過は
妊娠19週で双胎間輸血症候群と診断され、診断翌日には手術に臨んだ私。手術の出来る期間というのは限られているし、また、タイミングも重要なのだろうと素人ながらに感じる部分がたくさんありました。
そのくらい、診断から手術までがスピーディだったんです。
的確な診断と判断、処置をしていただいたおかげで、手術は無事成功し、術後の経過は順調でした。
ただ、これはお腹の中の双子ちゃんのことであって、母体である私の体調はというとちょっと違いました。
一日一日が過ぎていくうち、つわりの症状は徐々に緩やかになり、食事がだんだんと美味しく感じられるようになってきました。
ただ、よだれつわりは治まらず、常にガーグルベースにぺっぺと吐きだす毎日でしたね。
双胎間輸血症候群は術後一カ月がとくに注意をして経過観察をする必要があるらしく、先生にも、
ここから一カ月が山。これを超えたら一安心ですよ。
と言われてました。
そして、定期的にエコー検査を受けつつ、経過観察し無事に一カ月を迎えました。
本来なら、ここで退院できるはずだったんですが・・・私の入院生活は続きます。
長い入院生活
術後はずっとお腹の張りを抑える「ウテメリン」という点滴をし続けていたのですが、退院するにはこれを外せるようにならないといけません。
要するに、点滴がなくてもお腹が張ったりせず、経管長も保たれていないといけないのです。
経過が順調と診断された私は点滴の量を減らすことになったのですが、残念ながらお腹が張ってしまいました。
結局、点滴を外すことはできず、入院を継続することになったのです。
当初、私は里帰り出産をする予定でした。
初めての出産でしかも双子ということもあり、実家の両親にしばらく手伝ってもらうことにしていたのです。
双子なので様々なリスクを考慮し通常の産院では受け入れてもらえないとのことで、地元の総合病院で出産することを決め、予約を入れていました。
仕事も産休になるまでは行くつもりでいたので、産休に入ると同時に里帰りし、予約した病院を受診することになっていたんです。
でも、実際は双胎間輸血症候群を発症し、里帰りどころではなくなってしまいました。
妊娠発覚当初、里帰りしたら出産までの間に、
「実家の庭でバーベキューしまくるぞ!」
とか
「お母さんと一緒に赤ちゃん用品あれこれ買いにいくぞ♪」
とか
「出産したら外食とか暫く無理だろうし、外食しまくるぞ!」
とか。
マタニティライフを満喫する気満々だったのですが。
そんなものはすべて夢と散ってしまいました・・・
自分の欲望なんて言ってる場合ではありません。
お腹の中に居る小さな二つの命を守り、無事に出てこられるようにする以外はないのです。
こうして、つわりでの1ヶ月半と転院して双胎間輸血症候群の手術を受けてからの3ヶ月半、トータル5ヶ月の長い入院生活となったのです。
入院生活は一言で表しますと「辛かった」です。
その辛かった一番の原因は「終わらないつわり」。
よだれつわりは出産まで私を苦しめ、そのおかげで心も体もボロボロになりました。
来る日も来る日もベッドに横たわり、長い一日をやり過ごすのです。
そんな、入院中のささやかな楽しみとストレス発散は同じ部屋に入院している妊婦さんたちとのたわいもない会話でした。
4人部屋だったのですが、同じ双胎間輸血症候群の手術を受けたママも居れば、切迫早産のママ、管理入院のママなど状況は皆それぞれ違いましたが、ウテメリン(張り止めの点滴)に繋がれ部屋からも自由に出られないという同じ境遇の中、その日の食事のこととか、退院したら何やりたいとかしょうもない話で盛り上がり、それが一番のストレス発散になりましたね。
双胎間輸血症候群の術後の体重差はどうなった?
出産までの間、特に異常が見られない場合は週に一度エコー検査とモニター観察がありました。
ただ、エコー検査といっても、ちょっと見て終わる程度ではなく、いろんなデータを取りながら細かく診察されるので、結構時間がかかります。
新人の先生が担当される時は1時間かかったこともありました。
終わって部屋に戻ると他のママ達に
「時間かかったね~」
なんて言われたり。
それだけ、細かく状況を診てくださってたということなんですけどね。
このエコー検査で私が気になるのは専ら「二人の体重差」。
手術を受ける前から二人の体重には差が出始めていましたが、この差は術後も縮まることはありませんでした。
手術でそれまで輸血状態にあった血管は焼灼され影響がなくなりましたが、へその緒の位置が良くなかった様で、ふたごくん①は順調に大きくなりましたが、ふたごくん②はなかなか体重が増えませんでした。
というのも。
二人で共有している胎盤一つに対し、ふたごくん①のへその緒はほぼ中央に位置し、お腹のど真ん中に居ました。
対してふたごくん②はへその緒が胎盤の端っこの方についていたため、栄養が平等に行きわたらなかった様です。
しかも、ふたごくん①がお腹のど真ん中に居たので、ふたごくん②はお腹の端っこへ。
だから、心音を聴くときは機械をお腹の真ん中と、右側面に当てて取っていましたね。
そんな訳で、二人の体重差は縮まるどころかどんどん広がっていったんです。
数十グラムの違いだったのが100グラムに広がり、数百グラムの差へと・・・
そして、最終的には倍半分の違いにまで体重差は広がったのでした。
母体の心と体の限界
よだれつわりに苦しみながらもどうにか日々を乗り越えていましたが、30週に入ったあたりで私は心も体ももう限界寸前になっていました。
吐きつわりが終わってから食欲は回復していましたが、お腹が大きくなってきたこともあり、この頃また食事が喉を通らなくなってました。
加えてよだれつわりのせいで口の中や喉がずっと気持ち悪く、唇はボロボロで、精神的にも結構参ってましたね。
そんな中、ベッドで横になっていると気持ちが悪くなってしまい、トイレで嘔吐したんです。
そしたら。
今まで見たことも無いようなキレイな黄緑色の液体が出てきたんです。
(汚い話ですみません・・・)
ビックリしてトイレについているナースコールを押しました。
で、駆け付けた看護師さんが見るなり、
これ、胆汁が出ちゃってますね
と。
それからバタバタと先生の所へ何やら確認をしに行き、再び私のところへやってきたと思ったら、二つ取り付けられていた点滴の内、「マグセント」というきっつい点滴を外してくれました。
ちなみに、私の体調が余計に悪化したのはこのマグセントを取り付けられてからです。
薬には様々な副作用がありますが、私の場合はマグセントを取り付けられると頭が割れるように痛くなりました。
こうしてマグセントは外され、今後について考えなければならなくなりました。
そのため、夫も呼ばれ先生方と話し合いをすることに。
お腹の赤ちゃんにとっては一日でも長くお腹の中に居られるのが最善だけど、母体はもう限界。
それで先生から、
思い切ってウテメリンも外してみましょう。外したらすぐに陣痛来ちゃうかもしれないけど、もしかしたら持つかもしれないし。
このように提案をされました。
この時点でちょうど妊娠32週。
こうしてついに点滴は外され、赤ちゃんの肺の成長を促進する薬を注射されました。
お腹の中の二人に申し訳ないと思いつつ、点滴から解放されることで私の精神は少し持ち直しました。
ついに出産
点滴を外してからは、思ったより持ちこたえていました。
気持ちが少し楽になったこともあり、食事もまた少し食べられるようになりました。
そして、点滴を外してから二日後の金曜日。
夕方の回診にやってきた担当の先生が、
お!結構もってるねえ!
この調子なら案外週末持ちこたえるかもしれないね!
ニヤニヤしながらこんなことを言って去って行きました。
ところが。
夕方の回診や食事を終え、あとはのんびり・・・という頃になって、急にお腹の張りが気になり始めたんです。
仰向けでも、右向いても左向いても、起き上がってみてもなんか張ってる。
それで、私はナースコールを押しました。
看護師さんがすぐに来てくれて、モニターを取り付けて状況を観察することにしたのですが、特に異常は見られなかった様で、若い先生がやってきてこう言われました。
特になんともないようですよ。
そうやってゴロゴロ動いてるから余計にお腹が張るんじゃないんですか?
この言葉にはちょっとトゲがあるな、と若干ムッとしてしまった私。
痛いから痛いって伝えただけなんですがね。
とにかく、なんともないって言われたんでしかたない。
横になってやり過ごそう・・・・・って!
いやっ、やっぱお腹痛いから!!!
で、申し訳ないなあと思いつつも、再びナースコール。
看護師さんが来てくれたのでやっぱりお腹が痛いと伝えると、さっきとは別の当直のベテラン先生が登場。
ちょっと内診して見ましょうかと、診察室に呼んでくださいました。
そして、内診するなり
あー、もう子宮口開いてるねぇ。手術の準備しましょう!
ほら!言ったじゃん!だから言ったじゃん!お腹痛いって!!!
心の中で叫んだ私。
結局、陣痛始まってて痛かったんですよ。
ここから出産までは、もう、まるで一瞬の出来事の様でした。
夕方の回診後、帰宅されたはずの担当医の先生がいつのまにか現れていて、
これから帝王切開しましょうね
と、落ち着いた様子で声をかけてくださいました。
夫にも連絡を入れてくださったようで、タクシーで速攻やってきました。
お腹の中のふたごくんの最後の心音を確認して、いよいよ帝王切開です。
双胎間輸血症候群の手術以来、3ヶ月ぶりの手術室です。
帝王切開は、それはそれは早かったです。
「これから手術室に向かいまーす」と看護師さんに言われたのが23時半ごろ。
そして、日付が変わる前には二人とも生まれていた、という。
まずはお腹のど真ん中にいたふたごくん①が誕生。
お腹から取り出され一瞬見せてもらえましたが、早産なのですぐにNICU行きです。
一瞬見て感じたことは、
「小さい・・・」
ということ。
そして、ふたごくん①の誕生のわずか1分後にふたごくん②が誕生。
こちらも、一瞬見せてもらえましたが・・・
「うわぁ・・・ごめんね・・・」
これが、ふたごくん②を見た時に感じた気持ちでした。
出産する直前のエコーでは、二人の大きさは
ふたごくん②:1100g
だったのですが、実際生まれた時の体重はと言うと、
ふたごくん②:882g
でした。
1キロも無い赤ちゃんなんてこれまで見たことがなく、ふたごくん②に初めて会った瞬間はただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
自分の苦しみばかりを主張して、耐えることができなくてごめんね・・・
そんな申し訳ない気持ちが頭の中をグルグルと回っていましたね。
とにもかくにも、こうして私の出産は一瞬の出来事のように終わりました。
まとめ
双胎間輸血症候群の手術を受けてからの入院生活は一日一日がものすごく長く、永遠のように感じてしまうくらいでしたが、それに比べたら出産は本当に一瞬のことでした。
こうして、私の病院漬けの妊娠生活は終わり、怒濤の双子育児がスタートしたのでした。
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